[小 説/RO小説/moe5]

P004 月凍える夜に / 2005-04-18 (月)

 二人の会話は次々に切り替わっていった。
 最初に話していたのは今日の「ソードオブムーン」の戦いの感想、反省といった真面目なものだ。ギルドの最古参であるエマはギルドの作戦や計画を立てる中心の一人でもある。
 エマ曰く「今後の参考にするから、気づいたことあったら何でもいって」。
 無論、アークに異議はない。承諾して、彼なりに気づいたことを話していった。ヴィーザード隊の火力効率と配置、各隊の進撃順序、指揮系統の若干の不安など。
 しかし、それらを一通り話してしまってからは、脱線に次ぐ脱線、乗り換えの連続だった。
 このバーの店主が隠れて拾ってきた猫の世話をしている話から、別の強豪Gvギルドに起きている揉め事の話。狩りで得た希少品の話から、最近ついてないとかの愚痴。
 話がどう移り変わっていったのか、どこから切り替わったのか、時々二人で悩んでいたが、エマは早々に辿っても意味はないと結論してしまい、アークも結局それに習った。
 そして――
「……それでね。クリスったら『興味ない』の一言で終わりなの。冷たいよね」
「はは。いえ……それはクリスさんの自由ですよ」
「むー……確かにそうなんだけど……」
 膨れるエマを他所にアークは時計を見ていた。
 バーの柱の時計は、店の主人と同じように黙々と時を刻みつづけている。
 針の示す時刻は深夜になろうとしていた。
 二人とも酒をだいぶ飲んでいる。特にエマはあれからワインに続き、カクテルを次々に開けている。間違いを起こさぬためにも、そろそろ引き上げなくてはならない。
 そう考えて、アークは席を立とうとした。
「それで、さ。いつクリスに……いえ、ギルドマスターに話すの?」
 その言葉は如何にもエマらしく、自然に、何ということでもないように彼女の口から発せられた。会話の流れの中に没してしまいそうな何気ない質問。口にしたエマ自身、そう望んでいたのかもしれない。
 しかし、その言葉はアークの体内のアルコールを飛ばし、席を立とうとする体を止め、なおあまりある威力を示すものだった。
 アークの顔は紅潮から、一気に青白いものへと変わる。
「……図星、ね。当たってほしくないことほど、よく当たる……か」
 拗ねたようなエマの声は、しかし、アークにはあまり聞こえなかった。
 数秒の沈黙の後、先に口を開いたのはアークだった。
「……なぜ、わかったんです?」
 エマは、グラスを置いてそっと懐にある杖を触った。
「何となく……かな。これでも長くあのギルドにいるんだもの。わかっちゃうんだ」
 彼女はそういって小さく舌を見せて笑った。悪戯っぽい仕草のそれは、どこか生気に欠けていた。
 舌と笑顔を引っ込めて、エマは目の前にあるグラスを見つめながらぽつりとアークに訊く。
「ギルド……抜けるのね?」
 アークは俯いて黙った。
 再び沈黙が訪れた。
 静寂よりも遥かに深いそれは、長いようにも短いようにも感じられた。
 柱時計の針はゆっくりと進み、やがて、震える声で、かすかに、だがはっきりと、

「はい……」

 とアークは答えた。


 時が止まったようなカウンター席で、先に口を開いたのはエマだった。
「そっか……」
 エマはグラスを持ち上げて、残ったカクテルをくっと飲み干してグラスを置いた。それは雑な動作で、先ほどまでのどこか優雅な飲み方ではない。
 何かを吹っ切るための、それはエマの儀式だったのだろう。
「……マスター、ごめんね。雑な飲み方して」
「いえ、お気になさいませぬよう。おかわりはお持ちいたしますか?」
「ううん、今はいいわ」
「わかりました。では、お下げします」
 マスターは黙々と空のグラスを持って、そのまま奥へと消えていった。
 それを見届けて、エマは口を開いた。
「理由、聞いてもいい?いいたくないなら無理には聞かない。でも……」
 彼女は苦笑いしたが、それは本当に苦さを感じさせた。
「私に話せないようじゃ、クリス相手はもっと辛いよ?予行演習ってことでどうかな?」
 再び沈黙。
「……わかりました。お話します」
 やがて、アークは顔を上げ、重い口を開いた。
「……俺が入って来た時のこと、覚えてます?」
「うん。確か、臨時で会ったエミィの紹介だったよね。」
 臨時とは、知らない冒険者同士で組んで狩りにいくことである。特定の仲間を持たぬ冒険者たちが主に利用するもので、たまに仲間内の都合が合わずに暇を持て余したギルドの者も参加することがある。
 エミィは「ソードオブムーン」のメンバーで、たまたま臨時に行った時にアークに出会い、その実力を見てギルドへと誘ったのである。
「はい。その時、俺は一つ嘘をついたんです」
「嘘?」
「無所属だ……って。でも、俺本当は、あるギルドに所属してたんです」
「うん……」
「『泉の妖精』っていう六人くらいの小さなギルドでした。Gvには何の縁もない、ただのギルドです」
 アークは目の前にあるグラスを見たままに話を続ける。
 二人とも視線を合わそうとはしなかった。
「別に強くなろうとか、あの頃は思ってなかったんです。でも、ある日……」


 あの日、アークは砂漠の都市モロクの南西にある、ピラミッドと呼ばれる古代遺跡の中にいた。特に目的があったわけではない。ただ、仲間が集まったので狩りに行こうという話になった。それだけだ。
 集まったのはアークを含む「泉の妖精」の五人。プリーストの女性が二人、騎士の男が一人、ハンターの男が一人、そしてウィーザードの彼だった。
 狩りはいつもと変わらず、和気藹々としたものだった。
 ところが、思いもよらぬ敵に遭遇した。冒険者たちの間で「BOSS」と呼ばれるモンスターが彼らに襲いかってきたのだ。


「オシリス……ね」
「はい。BOSSなんて見るのはじめてで、それでも気がついた時には もう避けられなくて、戦ったんです」


「オシリス」とは、ピラミッドに葬られた古代の王とされるモンスターである。見かけは、同じくピラミッドに葬られた奴隷とされている「マミー」と呼ばれる死者達と大差はない。だが、その膂力と耐久力は「マミー」は比べるべくもない強大なもの。加えて、「イシス」と呼ばれる上半身が美女で下半身が蛇のモンスターや「エイシェントマミー」という「マミー」の上位種を常に従えている。
 まさにピラミッドの王と呼んで差し支えのない怪物であった。


「何とかうまくいってた。後もう少しで倒せたんです……」
 アークは今でもその時のことを覚えているのか。彼は奥歯を噛み締め、かすかにギリと音が鳴った。


 騎士の男がオシリスを止め、ハンターの男がそれを射抜き、アークは天から召還した隕石をもって怪物の従者どもを薙ぎ払った。二人のプリーストは精神力の消耗で顔面を蒼白にしながらも、瞬く間に瀕死の重症を負う騎士を必死に癒し続けていた。
 明らかな苦戦。
 しかし、聖水を帯びた剣撃、退魔の力を宿す銀の矢、燃え盛る隕石、それらを幾閃、幾本、幾撃とも知れぬ数を浴びたオシリスは次第にその動きを鈍らせていた。
「あと少し……っ!!」
 アークと仲間たちの誰もがそう思って、最後の力を振り絞った。
 しかし……それは突然に起きる。
 どこからともなくペコペコと呼ばれる騎乗用の駝鳥に跨り、オシリスへと駆け寄った騎士は何の躊躇いもなくその手に握った槍を突き出し、怪物を突き飛ばした。スピアスタッブと呼ばれる槍騎士の技。騎士の膂力と突進力を持って、敵を跳ね飛ばす槍技である。
 怪物は突き飛ばされつつも殺意を失うことなく、着地し――

 その側にはアークの仲間である二人のプリーストがいた。

 悲鳴を上げる暇も逃げる暇もなかったに違いない。
 アークより一つ年下のプリーストの少女にオシリスは狙いをつけ、疾風の如く踏み込んだ。
 大気を切って唸る、怪物の豪腕。
 だが、豪腕の前にもう一人の女プリーストが立ちはだかった。
 理由など一つしかない。
 なぜなら、彼女は「泉の妖精」のギルドマスター。ギルドメンバーを守るのは彼女にとって当たり前だったに違いない。
 我が身を犠牲にしてでも――
 女プリーストは紙できているかのように腹部を引き裂かれ、弾き飛ばされた。
 血を撒き散らして飛んだ体は、背後にいる少女を巻き込み、床に叩きつけられた二人は動かなくなる。
 仲間の騎士が絶叫した。彼はそのままオシリスに突っ込んでいった。ハンターも矢をつがえる……きつく絞られた弦を染めるのは彼の血。だが、彼は痛みなど忘れていただろう。アークも即座に詠唱を開始する……詠唱は怒りで途切れがちだった。
 だが、傷ついてなおオシリスは怪物であった。
 プリーストの二人が倒れた今、癒しを受けられなくなった騎士ではそれを止められるはずもない。鎧を砕かれ、兜を割られ、全身を血濡れにした騎士が重い音を立てて崩れ落ちると、続けて怪物はハンターへと迫った。
 決死の覚悟で放たれた矢は、オシリスの体を深く穿ったが怪物は倒れない。豪腕が振るわれ、ハンターは錐揉むようにして宙を舞う。その手足はありえぬ方向に曲がっていた。
 そして、オシリスはアークへと迫ってくる。
 死を覚悟して詠唱を開始したが、オシリスが彼に触れることはなかった。
 アークが最も望まぬ、救いの手が差し伸べられたからだ。


「死んだ方がどれだけ……よかったわからない」
 振り絞るようにアークは言った。


 オシリスを突き飛ばし、アークの仲間たちを全滅へと突き落とした槍騎士の男。男とその仲間と思しき冒険者たちが、オシリスを止めた。
 先頭に立つ槍騎士の耐久力は、アークの仲間のそれを遥かに超えていた。
 閃光の如く放たれる矢の速度も、アークの仲間のそれを軽く凌駕していた。
 風のように紡がれる詠唱も、アークのそれを完全に抜き去っていた。
 オシリスは、怪物は、あの脅威が嘘だったかのように……あっけなく塵と化して滅んだ。
 オシリスを倒した冒険者たちは皆、衣服の一部に一つの紋章を刺繍していた。
 そこにギルド名も入っていた――「真紅の天使」。
「真紅の天使」のメンバーたちは、睨みつけるアークも倒れ伏すアーク の仲間たちも眼中にないかのように、ワープポータルと呼ばれる転送魔方陣を発動させた。
 一人、また一人と光の中に消えていき、プリーストと槍騎士だけになって、「真紅の天使」の槍騎士がようやく気づいたかのようにアークに目を向けた。
 だが、槍騎士は何もいわず、ただ見て、ただ――

 笑みを浮かべていた。

「真紅の天使」は去り、アークと倒れ伏す仲間だけがその場に残された。
 その後、通りがかった別の冒険者たちの手でアークの仲間たちは救われた。瀕死の重傷を負った三人も蘇生術で救われた。少女のプリーストは軽症で済んだ。
 しかし、彼らのギルドマスターには小さいとはいえ、腹部に消えない傷が残った。
「何、傷の一つや二つ。気にすることはない。」
 彼女はそういって剛毅に笑った。
 アークはその日……一言も言葉を口にすることはなかった。


「『真紅の天使』……うん、『アレ』ね」
 形のよい眉を寄せて、エマはいった。
「ほとんどのGvギルドから嫌われて、仲間同士の内紛で潰れた『アレ』……私がいうこともないか。君の方がわかってるもの」
「……はい」
「でも、アーク君が『ソードオブムーン』に入る前に『アレ』はすでに消滅してた。なら、どうして?」
「……強く、なりたかったんです。単純ですね」
 アークは笑った。それは力のない、弱々しい笑みだった。


 その時から、アークは「強くなろう」と思った。
 あの憎き槍騎士が来る前にオシリスを倒せていれば、あんなことにはならなかった。
 だから、彼は倒せる「強さ」を求めた。
 アークは一人、狩りや臨時に励んだ。少しでも強くなるべく、狩りを通じて技術を力を高めた。彼はめきめきと実力を上げていった。
 だが、アークの仲間たちは違う。彼らには「強さ」への渇望はないようだった。だから、すぐに彼の実力に仲間たちはついていけなくなった。 アークはそのたびに立ち止まらざるを得ない。
 過ぎていく平穏な日々は、真綿で首を絞めるようにアークを焦らせた。
 しかし、仲間に「強さ」を求めるよう強いることもアークにはできない。
 そして、気づいてしまった。

 このまま「泉の妖精」にいたら、強くはなれない。

 認めたくない事実に、アークは迷った。
 でも、その迷いを吹き飛ばすように、歩みを急かすかのように、アークの前に道は開いた。いや、開いてしまったというべきなのか。
 その日、臨時で会ったエミィという名の女ハンターはアークに訊いた。
「アーク君。よければうちに……『ソードオブムーン』に来ない?」
「え?」
「あー……でも、ギルドあるなら無理にとはいえないか。気が向いたら連絡してよ」
 その頃、すでに「ソードオブムーン」はGvギルドとして名が聞こえていた。悪評はほとんどなく、わずかにあるそれは妬みや中傷の類に過ぎない。むしろ、隆盛著しいギルドの一つとして期待される勢力の一つであった。
「そこに来ないか?」とエミィはアークに訊いているのだ。
 迷うべきだったのかもしれない。
 だが、有力なGvギルドのほとんどはあまり外部の者を入れない。メンバーの人間関係、実力などを総合した組織の質とでもいうべきものの劣化を嫌うからである。そのため、Gvギルドが誘うのは「どういう人物か」を把握できる相手にほぼ限られるといっていい。すなわち、そのGvギルドのメンバーの友人や知人であるといった人脈を有する者でな ければ、入るのは難しい。非常に狭き門だった。
 だから、アークの得た道は希少なものなのである。
 そして、その道は決して保障されたものではなかった。エミィは「連絡して」といったが、その席が確保されることはないだろう。名の知れた「ソードオブムーン」である。アークに変わる者などいくらでもいるといっていい。
 この機会を逃したら――
「いえ、俺。無所属ですから大丈夫ですよ。今のギルドはたまたまいるだけですし」
「え、そうなの?うん。じゃあ、ギルドマスターに紹介するから、明日連絡するね!」
 咄嗟に出た心無い嘘。
 それには気づかずに、エミィは笑顔で去っていった。
「……これで、強くなれる」
 つぶやいた言葉は力がなかった。

 アークはそのまま「泉の妖精」の溜まり場へ向かった。荷物を取るためである。
 幸い仲間は狩りにいったのか、誰もいなかった。手早く荷物を纏めて、簡単な置手紙を残す。仲間が戻ってくる前に去ろうと、アークは荷物を持ち上げて溜まり場に背を向けた。
 でも、アークの足は止まる。彼の目の前には、いつの間に戻ってきたのか、ギルドマスターの女プリーストが立っていた。彼女の顔は普段のままの毅然としたものだったが、心持ち厳しい面持ちだった。
 あの狩りの日からアークが変わったことを、女プリーストは察していたのだろうか。
 何もいえず立ち竦んだアークの前で、彼女の口から出たものは制止でもなく、詰問でもなく……ただ、一つだけの問いかけだった。
「この選択に、後悔はないのかい?」
「……はい」
 意志を固めアークが頷くと彼女は少し笑って、
「わかった。それなら止めない。だけど、もし後悔したようなら戻ってきな。お説教つきだけどね」
 そういって手も振らずに背を向けた。
 彼女が振り返る前に見せた笑顔。いつも気丈だった彼女らしからぬ寂しげな笑顔。
 それはアークが今まで一度も見たこともないもので、彼は胸に痛みを覚えた。
 でも、アークの足は動き出す。
 カツン、カツン……
 午後の首都のプロンテラ。その一角で、靴音だけが石畳に響いた。