[小 説/RO小説/moe5]

P005 月凍える夜に / 2005-04-18 (月)

「……」
「……」
 話が途切れてしばらくの間、エマもアークも無言だった。
 やがて、アークがぽつりと訊く。
「……俺は望みどおり強くなれたと思いますか?」
「……うん。元からスキルにうるさいエミィの推薦だったからね。来た時から十分だったけど、それでも今よりは劣るかな」
「……ありがとうございます」
 その感謝の言葉は何に向けたものなのか。アークの上達を誉めたエマに対してか、それとも、アークを迎え、鍛えてくれた「ソードオブムーン」全員に対してなのか。
 発したアーク本人もよくわからなかった。
 アークは、懐に入れた右手でそっと「骸骨の杖」を握り締めた。彼が このギルドに来た時にはなかったもの。手に入れた力の一つ。
「でも……」
 アークの言葉は途切れる。その後に続くのは理由と呼べるものではない。エマや「ソードオブムーン」の仲間を納得させることもできなければ、アーク本人すら無理だろう。
 だから、これはきっと、こういうことしかできないもの――

「泉の妖精」のギルドマスターが口にした「後悔」。

「あーあ……彼もそうだったっけ」
 エマはぼんやりという。その声の響きは柔らかいようでいて棘があった。
「……うん。思い出話のお返しってわけじゃないけど、私の話も聞いてくれるかな」
「え?」
「ふふ、君によく似た彼がいたのよ……ただ、彼は何も話してくれなかったけど」
 エマはかすかに笑う。
「思い出しちゃったから、話してもいいかな……?」
「……はい」
 アークに断ることはできない。
 エマが見せた笑顔は、彼が午後のプロンテラで見たものと似ていた。
「ずいぶん前にうちにいたアサシンで、名前は一陣っていう彼なんだけどね……」


 それは「ソードオブムーン」が創設されて、そう間もない頃だ。
 エマことエマリエル・クリューウェルは、創設者である「ソードオブムーン」ギルドマスターのクリスティーナ・ウィンゲート――クリスとは古くからの友人である。だから、クリスがギルドを立てた日から、当然のようにエマも「ソードオブムーン」の一員となった。
 だが、強い冒険者たち、そして彼らが構成するGvギルドがひしめく砦の争奪戦において、一つのGvギルドが頭角を現すまでは容易ではない。
 人を集めなくてはならない。十人かそこらでは押し寄せる他のGvギルドに太刀打ちできようはずはないからだ。
 武具や装備を整えねばならない。生半可な武装では、強固な鎧を纏った相手にはかすり傷一つ負わせられず、強者が蠢く戦場では生き残れないからだ。
 資金を用意しなくてはならない。戦場で消費される回復薬、物資は膨大である。十万ゼニー程度では、一度の戦いすらしのげないからだ。
 国王が触れを出す以前より、地力を蓄えていたギルドならともかく、駆け出しのGvギルドはそれらの土台から作らねばならない。しかも、駆け出しのGvギルドが必死に戦力を築いている間に、強豪もまたその戦力を高めているのである。
 クリスとエマの二人が「ソードオブムーン」を伸し上げるべく、どれほどに東奔西走したかは、おそらく同じ経験を持つGvギルドの者たちでなければ、推し量ることすらできないだろう。
 そして、二人の努力は正当に報われつつあった。
 無論、ほとんどの冒険者にとっての「ソードオブムーン」は、依然多くのGvギルドの中の無名の一にすぎない。
 だが、Gvギルドに興味を持つ一部の冒険者たちの間では、新興勢力として期待されるまでになっていた。無名に毛が生えた程度の存在であり、並み居る強豪相手にはとても歯が立たなかったが、次第にその差は埋まりつつあった。
 そんな頃のある日の午後、プロンテラの南門前でエマは看板を出していた。ギルドメンバーの募集である。
 創設当初からクリスとエマ、それに少数の同志は友人や知り合いを「ソードオブムーン」に誘って戦力を整えてきたが、よほど有名な冒険者でもない限り、個人の人間関係はそう広いものではない。無名の冒険者に過ぎなかった彼らでは、個々の人脈だけに頼る形ではそろそろ限界だったのである。だから、クリスとエマはメンバーを交えて話し合った結果、募集を行うことが決定した。エマはそのためにこうしているのである。
 しかし、看板を出したからといって人が来るなら、苦労はしない。エマが昼過ぎに看板を出してから、かれこれ二時間が経とうとしていた。声をかけても足を止める者はそう多くないし、誘いに応じる者はさらに 少ない。その上、辺りには別のGvギルドの勧誘もいる。
「今日は無理かなー……」
 エマは思わず呟いた。さすがに彼女も疲れてきていたのだろう。
 その時、一人の男の冒険者がエマの前で足を止めた。
「こんにちは。募集ですか?」
「……え、あ、はい!そうですよ」
 わたわたと挨拶するエマに、男は笑った。眉が心持ち下がった、照れたような笑いだった。
 尖った硬い黒い髪をしたその男の着ている服は、午後の日には少し似合わない、闇色の装束。腰には、特殊な形をした刃物を下げていた。アサシンと呼ばれる者たちにしか扱えない、カタールと呼ばれる異形の短剣。
「私は、エマリエル・クリューウェルといいます。あの、お名前は?」
「俺は一陣、っていいます。えーっと、何て呼べばいいですか?」
「……え?」
「いや、姓か名前か……なんですけど」
「あ……呼びにくい名前でごめんなさい。エマでいいですよ」
「ああっ……ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
 頭を下げたエマに慌てたのか、おろおろと一陣は謝った。
 それを見て、エマは思わず笑ってしまった。
「ぷっ……ふふ。いえ、お気になさらないでください」
「わ、わかりました」
 直立不動で男は答えた。
 その後、少しの問答をして男――一陣は「ソードオブムーン」の一員となった。


「何ていうかな……色んな意味でアサシンに見えなかったよ。一陣君は」
 エマは今でもその場面が目に浮かぶのか、笑っていた。
「そうですね」
 アークは同意した。
 多くのアサシンは、暗殺者でありながらもその実、暗殺は行っていない。暗殺者の技術をもってモンスターと戦う冒険者といった方が正しいだろう。
 しかし、それを差し引いたとしても一陣という男は、暗殺者の装束も、 技術自体もどこか似合わない気がした。
 それに……
「でも、そうなると……Gvギルドにもあまり向いていなかったんじゃないですか?」
 アークの疑問はもっともだった。今の話から一陣の性格を見ると、とても冒険者同士の戦いを好む男とは考えにくい。
 エマは頷いた。
「うん。私もそう思ったよ。だから、正直不安だったんだけどね……でも」


 エマの不安は杞憂だった。
 だが、同時にそれは一陣の性格を裏切る形でもなかった。
 その日、「ソードオブムーン」は、山岳都市フェイヨンの近郊チェンリム湖畔に点在する砦の一つを攻めていた。相手は当時の「ソードオブムーン」と同規模のGvギルド。エマとクリスの立てた作戦が的中し、敵防衛線は崩壊した。
 混乱する敵を前に「ソードオブムーン」はクリスを先頭に突破を開始する。エマの率いる後衛部隊は、クリスの部隊に遅れる形で続いて移動していた。
 だが、敵の抵抗は依然激しかった。エマの部隊は、敵の騎士たち数人に後方から喰らいつかれてしまったのだ。
 前を進むクリスの前衛部隊はすでに突破にかかっており、すぐには引き返せない。引き返せば、敵の防衛線が再構築されてしまうからだ。
「何とかついてきてくれ。何人かそちらに回す!」
 クリスから即座に伝令が走ったが、エマは難しいと判断していた。「ソードオブムーン」の戦力にはそこまで余裕はない。だから、エマは敵の騎士たちを牽制しつつ、何とか部隊を少しずつ前進させていたが、敵の猛追はすぐに迫ってきた。
「あの後衛たちを片付けろっ!敵の前衛から切り離せっ!」
 先頭に立つ敵の騎士が叫び、敵勢はそれに応えるように殺到した。
「く……!大魔法展開!敵の足を止めなさい!リーナの隊はそのまま、 クリスについていって。ここは私の隊で止めるから」
「無理ですよっ。エマさんの隊だけじゃ……!」
「切り離されたらクリスたちの隊だけじゃもたないわ。任せなさい」
「うー……了解しました!ご武運をっ」
 笑っていうエマに、リーナと呼ばれたプリーストの女性は躊躇いを振り切って去った。
 リーナの統率する隊が先にいくのを確認するとエマは呟いた。
「……リーナ、ごめんね。」
 リーナの分析は正しい。エマの隊だけでは止められない。彼女の隊はおそらく敵の餌食になるだろう。だが、リーナの隊までここで潰されるわけにはいかなかった。
「みんな、ちょっと痛い思いするかもしれないけど……付き合ってくれる?」
「いいっていいって。さ、ここでシャットアウトといきますか!」
「旅は道連れ世は情け、と申しますから。お付き合いさせていただきます」
 エマの呼びかけに仲間たちは快く答え、苛烈な攻撃を迫る敵に放つ。
 稲妻の柱が爆発を起こし、全てを凍てつかせる吹雪が敵の前を遮る。無数とも思える矢が放たれ、敵の足を穿つ。
 しかし、奮戦しようとわずか一隊のものに過ぎない。たちまち、敵は目前に迫り、気がつけば、エマの目の前で騎士が槍を掲げていた。その黒光りする尖端は、彼女の胸を睨んでいた。
「くたばれっ!」
 目前で吠える敵の騎士に対し、エマは奇妙に冷静だった。
 あれを受ければ瀕死。すでに避けることはできない……仕方ない、か。
 槍の穂先が唸りを上げて迫る。
 だが、その時黒い疾風が吹きぬけた。
 凄まじい速度でエマの横を駆け抜けた影は、そのまま敵の騎士跨るペコペコの足を切断した。ペコペコは地面に崩れ落ち、敵の騎士は地面へと投げ出される。
 影はなおも止まることがない。「ソードオブムーン」のハンターに襲いかかっていた騎士の剣を弾き、ウィーザードを打たんとしていたモンクを突き飛ばし、プリーストを狙って矢をつがえていたハンターの胸に刃を突き立てて止まった。
 血反吐を吐いて倒れる敵のハンターの前に立っていたのは、「ソードオブムーン」のアサシン。一陣だった。
「先に行ってください。ここは俺で何とかしますから」
 一陣は振り返ってエマにそういうと、照れたように笑った。
「……てめえっ!!」
 地面に投げ出された敵の騎士が、怒りも露に一陣へと槍を突き出した。
 一陣は身をずらしてかわすと、カタールを打ち込みながらエマに叫んだ。
「クリスさんが待ってます!早く行ってください!あんまり持ちませんからっ」
 我が身のことは他人事の用にいって、一陣はそのまま敵と戦いはじめる。しかも、敵の騎士だけを相手にするのではなく、その場の敵がエマの隊に向かわぬよう妨げていた。
 それは無謀だ。おそらく一陣は間もなく倒されるだろう。
 だが、
「……クリスの隊と合流するわ。みんな、行くよ!」
 エマは一陣を置いて先に進んだ。仲間の一人が言う。
「エマさん、あれだと一陣は……」
「わかってる……!」
 答えるエマの声は、彼女に似合わず荒れたものだった。仲間は思わず息を呑む。
「だけど……一陣君はそのつもりなんだから……」

 エマの隊は無事にクリスの隊に合流し、戦いは「ソードオブムーン」の勝利に終わった。
 一陣は、戦闘の終了後、砦の一角で重症を負って倒れているところを発見された。彼は意識を取り戻すと、ぼろぼろの姿でエマに訊いてきた。
「エマさんの隊、無事でしたか?」
「……うん。戦いも勝ったけど」
 エマが暗い顔で答えると、一陣は頬をかいて笑った。その頬にすら刀傷が刻まれている。
「そうですか……よかった……あいてっ」
 傷に触れたのだろう。彼は顔を歪めた。
「……ごめんね。君を囮になんかして……」
 エマが小さな声で謝ると、一陣は一瞬ぽかんとした顔をした。それから、慌てて首を振る。
「ああ、いえ……そんな。俺は、みんなが無事ならよかったんで。気にしないでくだ……あぐっ……っつー」
 また傷に触れたのか、一陣は悶絶している。
 その様を見て、ついエマは笑ってしまった。
「ぷ……あはは。ほら、おとなしくしてなさい。あ、リーナ!こっちこっち」


「一陣君は、いっつもそうだったの」
 エマの赤い瞳は宙を見ていた。その先にあるのは酒瓶の並ぶ棚。
 無論、彼女が見ているのは「今そこにあるもの」ではなかった。
「戦いのたびに、誰かを庇っては大怪我してたよ。そのたびに止めるんだけど、ぜんっぜん効果ないから、最後の方は当たり前になっちゃってた。クリスも『止めるだけ無駄だな』なんて匙投げちゃったし」
 アークにも想像がつく。戦いのたびに重症を負って発見され、助けられた仲間が謝ったり礼をいったりすると慌てて首を振って、恐縮してし まう……そんな一陣という男の姿が。
 一陣はきっと何も考えていなかったのだろう。
 仲間を守るためなら、自身の身など気にしない。それが一陣にとって当然だったのだから。謝られたりお礼をいわれることなのだという認識もなかったに違いない。
「すごい人ですね……」
 アークの言葉は素直な賞賛だったが、エマは少し違ったらしい。
「うーん、すごいのはすごいんだけど……どこか抜けてたよ。彼」
 エマはそういって笑った。
 でも、その笑顔はすぐにすーっと消えてしまい、
「うん……すごくいい仲間だった。でも、そのせいかな。私もクリスも、 気づけなかったんだ……」
 エマの声は暗く沈んだものになった。


「ソードオブムーン」は着々と戦力を伸ばしていった。
 すでに無名のギルドではない。Gvギルドに興味のない冒険者たちの間にも一つの勢力として認知されるようになってきていた。
 だが実際は、その隆盛は次第に頭打ちになりつつあった。強豪のGvギルドに後少しで手が届くのに、あと一枚の壁が破れない。そんな歯痒い状態がその頃は続いていた。
 強豪と称されたGvギルドの地位はそうそう揺らぐことはない。それは名声の力ももちろんあるのだが、戦力や経験や組織としての充実など、Gvギルドの様々な要素において、一つの完成を見ているからであろう。一度強固な形を築けば、それが容易く崩れることはない。だから、強豪の間に割り込むのには、完成された強豪を超える完成度を持つ形を目指さねばならないのである。
 ならば、強豪を追うGvギルドが求めるべきは何だろうか。
 経験は時がもたらすものですぐに身につけられはしない。組織としての充実も同様である。残るのは一つ、戦力であった。
「ソードオブムーン」はさらなる戦力強化を模索していた。
 だが、それは同時に既存の戦力――人員の淘汰でもあった。

「耐久力がないとダメ」
「アサシンはいらない」
 そんな声が、「ソードオブムーン」の中で次第に囁かれつつあった。クリスとエマは、その声を聞くたびに注意していた。メンバーの中にはアサシンもいれば、耐久力より速さを長所とした騎士などもいたからだ。「戦力にならない」と追い出すようなことは、二人の本意ではなかった。
 しかし、メンバーの中に伸び悩む現状に焦る者たちも出つつある。
 だから、クリスやエマがいくら嗜めようとも声は止むことはなく、二人は頭を痛めた。
 なぜなら、その声は戦力強化という一点では正しいこと認めざるをえなかったからだ。
 戦場において、耐久力は個人の戦闘力を左右する重要な要素となっていた。
 大きな要因の一つは、ダンサーと呼ばれる職の特技である「スクリーム」だ。「スクリーム」とは、踊り子であると同時に歌姫でもあるダンサーが自らの強靭な声帯を震わせて放つ、「魔力を宿した叫び」だ。彼女たちの叫びは大気を震わせ、聞いた者を衝撃とともに縛りつける力を持っていた。束縛された者は一時とはいえ、五体の動きを全て奪われる。ゆえに如何に俊敏なる者であろうと、叫びの前には無力な存在とならざるをえない。またその技能ゆえに、ダンサーはギルドの戦いにおける花形となりつつあった。
 その上、身体の動きを奪う技能はダンサーのそれだけではなかった。騎士が裂帛の気合を込めて放つ渾身の一刀である「バッシュ」は、その極限の集中を持って命中精度を高め、斬撃の衝撃を持って相手の体を縫いとめる。戦場における狙撃手であるハンターは、役割の通り精密な射撃を可能とするばかりではなく、矢を受けた相手の体を麻痺させる弓――「サベージベベ」というモンスターを封じた護符を貼り付けたものらしい――を操り、常に敵の進軍を妨げるべく矢を浴びせてくるのである。
 それら以外にも数多くの「敵を止める」手管があり、全てがギルド同士の戦いにおいて盛んに用いられていた。これは、戦いにおいて敵を文字通り「止める」ことが如何に効果的であり、「止められる」ことが大きな損失であることを物語っているといえよう。
 そして、これら「止める手管」に対する対抗手段は、強烈な衝撃・斬撃に耐えうる頑健な身体、麻痺を強引に引き剥がしうる筋力……すなわち、耐久力であった。
 しかし、全ての冒険者たちが耐久力を高める体作りをしているかというと、そんなはずもない。素早さを己の長所と定めて体を絞ってきた者もいれば、そもそも体を鍛えること自体を必要としなかった者もいる。現にエマ自身ですら、「スクリーム」に耐えうる体は持っていない。それは全ての冒険者とその職業にいえることであり、Gvギルドでも珍しいことではなかった――が、

 そこにGvギルド同士の戦いにおけるアサシンの不幸があった。

 そもそもアサシンという職業は、刃に乗せる力よりも「刃を打ち込む速度」と「敵の刃をかわし、生還する」ことを身上とするものである。敵に察知されることなく、風の如く接近し、瞬時に相手の命を奪い、追っ手の刃のことごとくを避けて去る――暗殺とはそういうものだからだ。この観点でいけば、攻撃を受けることがないのだから耐える体は必要ない。むしろ、必要以上に筋肉を固くし、体を重くすることなど論外であるだろう。事実、多くのアサシンたちは筋肉を最小限に絞り、その柔軟性と速さを鍛え上げてきた者ばかりであった。耐久力を持つものなど、極めて希少といってよいだろう。
 ところがギルド間での戦がはじまって以来、Gvに参加したアサシンたちはその努力を無残にも打ち砕かれることとなった。理由はいうまでもない。先に挙げた「敵を止める手管」の数々である。つまり、彼らの神技に達した回避能力も、動き自体が止められてしまえば無意味になってしまったのだ。。
 加えて、アサシンは暗殺……一対一で人を殺害する技能にこそ長けていたが、他の職――例えば、ウィーザードの大魔法――のような多対一に適した技能を持たなかった。大量の敵を相手にすることの多い戦いにおいて、それも大きな弱点となる。そんなアサシンのギルド同士の戦いにおける役割は、ほぼ二つに限られた。一つは鎧の隙間を通す的確な刃をもって、生き残ったしぶとく強固な敵を倒す。もう一つは、毒を敵軍進路上に散布する。ともにアサシンゆえに可能な役割であったが、それを用いる機会はあくまで「動きを止められぬ」場合、すなわち味方が優勢な状況に限られた。そのような状況はいうまでもなく、常に期待できるものではない。むしろ希少であった。戦いにおけるアサシンの戦力価値は低い――そんな無情な結論が出されたのも無理からぬことといわねばならない。
 従って、Gvギルド……特に有力なものたちの間では、アサシンを戦力として求める声はほぼ皆無といってよかった。元からいる者だけで十分だからである。戦力の足りないギルドは「いないよりはマシ」と入れることもあるが、戦いの螺旋を上っていく過程で次第に疎んじられていくことも少なくなかった。
 そして、「ソードオブムーン」も今まさに「戦いの螺旋」を上っていく過程にある。しかも、もう少しで頂点に至るところ。目に見える覇者の座、されど開かぬ扉にメンバーが焦るのも仕方がなかった。
だが、それは、

 手を取り合ってきた者の心を踏みにじるほどの渇望であったのだろうか?

 クリスも、エマも、不安を覚えながら声を必死に封じる。
 でも、声はすでに届いてしまっていた。


「……『強さ』って怖いよ……気がつくと何かを忘れてしまう……」
 エマがぽつりと零した、わずかなつぶやき。
 ただ、それはひどく重い。小さな声に篭められているものは、恐怖、嫌悪、自戒、後悔……とにかく、とても重く暗い何か。
 アークは息を飲んでその言葉を受け止めていた。
「彼が……求めてたのは『強さ』じゃなかっただけ……」
 エマの声は力なく途中で消える。


「あの、話があります」
 一陣がそういって、クリスとエマの前に立った夕方。
 二人とも一陣が何をいうか、彼が現れた瞬間にわかってしまった。
 一陣の顔も口調もいつもどおり。
 一向に暗殺者に見えない柔和な顔立ち。どこか遠慮がちで、それでも明るい声の響き。
 でも、目は……そう例えるなら。
 大好きだったおもちゃを親に捨てられた子供が幾夜も泣き腫らして、捨てられた事実を受け入れた目。
 そんな目だった。
「ごめんなさい。俺はこれ以上、ギルドのお役に立てそうもありません。脱退します」
 いつになく、一陣はそう言い切って、あの照れたような笑顔を見せた。
 エマは動けなかった。
「一陣、私はお前が無能だなどと思ったことは一度もない。」
 代わるようにクリスが断言して、続ける。
「お前には幾度となく助けてもらっている。粉骨砕身の鏡……と思うほどに、な。そのお前を役に立たぬなどという理由で脱退させたとなれば、無能の汚名は私が負うところだろう。思い止まってはもらえないか」
 真摯で真っ直ぐな響きを持つ言葉。それはクリスの本心だったのだろう。
「……そうよ」
 クリスの言葉に、エマもようやく口を開く。
「私だって一陣君には何度も助けてもらってる。私たち後衛が狙われた時も、私が作戦をミスってピンチになった時も……君はいつだって一番にかけつけてくれたわ」
 エマの声は次第に熱を帯びた。
「それなのに……君が役立たずだなんて。君は仲間だし、恩人なのに……そんな、そんなこと……!」
「エマ、落ち着け。一陣が困ってるぞ」
 クリスに肩を叩かれて、エマは口をつぐんだ。
 クリスは一陣に向き直る。
「そういうことだ。私たち二人は、お前が役立たずだなどと微塵も思っていない。むしろ、その逆だ。厚かましいといえば厚かましいが……ずっと助けてほしいと思っている。だからもう一度言おう、思い止まってくれ」
 一陣は、頬をかいて笑っていた。眉を少し下げて。それは困ったような笑い。彼の今までどおりの笑顔。
「ごめんなさい。でも、俺にできることはもうありません。いかせてください」
 でも、語られた言葉ははっきりとした拒絶だった。
 沈黙が三人を支配した。
 しばしの時が流れ、クリスが口を開いた。
「……どうしてもか?何か不満があるなら跪いてでも聞くが」
 一陣は首を振って答えた。
「いいえ。不満はありません。ただ、決めたんです」
 照れた笑顔は消える。一陣の唇は真一文字に結ばれ、目は真っ直ぐと二人を見ていた。
 そこには決意だけがあった。
「そうか……意志は固いのだな。わかった」
 クリスは目を閉じ、頷いた。平静のままに。
 彼女が相手の前でじっと目を閉じるのは激しい怒りを覚えた時か、心底落胆した時だけだ。暴れる感情を制御する、彼女なりの儀式。
「すみません」
「何、謝ることはない。お前の決意を曲げるわけにもいかん。今までご苦……」
 頭を下げる一陣に、クリスが苦笑して答えようとした時、
「……どうしてよ」
 静かな湖面を乱す小波のような、エマの震える声が響いた。
「……エマ?」
 戸惑ったクリスの声。非常に珍しいはずのそれは、エマの耳には入らない。
 小波はそのまま波となって迸った。
「どうしてよ!何で?一陣君……!何で出て行っちゃうの!?」
 止まらない。
「今まで一緒に戦ってきたのに!大切な仲間なのに!どうして……っ!」
 止まらない。
 エマとて、一陣が止められぬことはもうわかっている。
 話を聞く前から、一陣の目を見た時から、わかっている。
 だけど、止まらなかった。
「あの日、募集で来てくれた時、本当に嬉しかったのに……!それなのに……」
「エマ!!」
 クリスが声を上げて叱りつけた。
 エマは肩をびくりと震わせて止まる。
 痛みを覚える静寂。差し込む夕日が三人をただ赤く照らしていた。
「……一陣に謝るがいい。一陣は決意は固い。ならば、私たちがすべきことは、彼の意を捻じ曲げることではない。快く送り出すのが唯一できる、せめてもの礼儀だろう……」
 やがて、クリスはそういってエマの肩を叩いた。
 叩くというよりも撫でるようなそれは、慰めているようにエマには感じられた。
 クリスとて無念の思いでこうしているのも、エマはわかっている。それでも。
「ごめ…ん……なさい」
 納得できなかった。
 エマは俯いて、一陣に謝る。
 途切れ途切れの言葉は、溢れ出る波をねじ伏せる蓋に過ぎない、不出来な謝罪。
 だが、
「ありがとう」
「……え?」
 意外な言葉に顔の上げたエマの瞳に、涙に濡れて滲んだ視界に映ったものは、歪んでいてもわかる一陣の笑顔だった。困ったような照れたようなあの笑顔。
 見慣れていたはずのもの。赤い光に照らされたもの。
 影一つない、春の青空の冷たさと暖かさを感じさせるそれは、

 なぜかはじめて見る顔のようで。

 エマは、自分の心が静かになっていくのを感じた。
 まるでその笑顔に何もかも、全てが吸い込まれてしまったように。
「……エマさん、クリスさん、お世話になりました。俺もこのギルドに入れてもらえて、本当に嬉しかったです」
 一陣は頭を下げる。
「こちらこそ、感謝している。気が向いたらでかまわない。たまには顔を出してくれ」
「うん……今までありがとう。また来てね」
 同じく頭を下げる二人に一陣は笑って、
「はい。また……さようなら」
 ただ、手を振って二人に「ソードオブムーン」に別れを告げた。


「……それ以来、一陣君には会ってないわ」
 エマはいって寂しそうに笑った。
 アークは黙っていた。口を挟むことが躊躇れたからだ。
「一陣君は彼自身の言うとおり『ソードオブムーン』に不満なんかなかったんだと思う。そして、彼の言うとおり『彼のできること』はなくなっていたんだろうね」
 一陣にできたこと、彼が心から望んでいたことは、はっきりとはわからない。
 でも、それはおそらく……「誰かを守ること」ではなかったのか。
「ソードオブムーン」を、そしてエマとクリスを守ることを望んでいた一陣。
 だが、一陣の存在自体がエマとクリスにとって負担となりつつあることを悟り、また「ソードオブムーン」が彼の守りを必要としなくなりつつあることを感じて。
 一陣は身を引くことを決断したのだろう。
 アークにはわかる気がした。
 一陣のそれは……とてもよく似ていたから。
「ふふ。一陣君もアーク君も冷たいよねー……それに自分勝手」
 エマは膨れる。
「強いからって、置いてかれる側はたまらないっての!」
 拗ねた口調だが、赤い瞳は笑っていた。
 そこにあるのは寂しさと、寂しさを乗り越えてきた強さ。
 彼女は受け入れている。
 いわなくてもよかったのかもしれない。
「……ごめんなさい」
 それでも、アークはせめて謝らずにはいられなかった。
「こら、謝るんじゃないの」
 エマは苦笑いすると、
「一陣君もそうだったけど、アーク君もそうなのね……ほら」
 そういってアークに向けて、右手を差し出した。
「え……?」
「握手よ握手」
 エマの意図は判然としなかったが、アークは恐る恐るその手を握り返した。
 細く白い華奢なエマの手が、アークの手に収まる。
 それは暖かかかった。
「少し早いけど……アーク君、今までありがとう。元のギルドに戻ってもがんばってね。それで……たまには顔を見せてくれると嬉しいな」
 紋切り型のありふれた別れの言葉とともに手は離れ、エマは笑った。
 その笑顔はどこか、かつて彼女と共にいた男のそれと同じ、

 ――春の青空を感じさせた。

 アークは目頭に熱を感じながら、気づいた。
 彼は「ソードオブムーン」を発つ。
 とっくに心に決めていたはずの別れを、ようやく受け入れることができた自分に。
 エマは別れの辛さを耐えて、アークの背中を優しく押してくれていた。
 本当に……かなわなかった。
「マスター、カクテルを二つお願い。飲みなおしよ」
「畏まりました」
 エマの明るい声と老人の重厚な声が聞こえる。
 アークはしばらくの間、顔を上げることができなかった。