[小 説/RO小説/moe5]

P006 月凍える夜に / 2005-04-18 (月)

 時計を見ると、針は頂点を過ぎていた。
「今日までお疲れ様、またね」
「本当にありがとうございました。また」
 エマはいって椅子に留まり、アークはいって席を立った。
 それはとても別れには見えない。和やかな風景。
「クリスには話を通しておくから、胸を張っていくのよ。いいわね?」
「何から何まですみません。エマさんは?」
「私はもう少し飲んでいくから」
「わかりました。では……あまり飲み過ぎないでください」
「心配しないでよろしい!じゃあね」
 エマが手を振り、アークは歩き出す。
 アークは入り口の近くまで歩いて振り返った。
 エマはすでにカウンターに向き直り、カクテルグラスを傾けている。
 アークはその横顔に何かを見たのか、言葉をかけようと口を開きかけ……
 唐突に店の扉が開き、三人の冒険者たちが入ってきた。
 その先頭には、黒く艶のある長髪を後ろで一つに纏めた女騎士。
 女性にしては背が高い。だが、それも美しさの要因の一つとすべきだろう。
 目は切れ長で瞳は黒く、眉は細く柳刃のように鋭い。唇はすっと引き締められていた。
 短めのスカートから覗く太股と、袖のない肌着から伸びる二の腕。褐色の肌は艶があり、贅肉はなく、かといって柔軟さも失ってはいない。
 頭には兜、体には甲冑、足には鉄のブーツ、首にはロザリオ。色はいずれも銀。腰には見事な意匠が施された剣を下げている。
 彫刻家が一生をかけて彫り上げた騎士像のような、硬質の美がそこにはあった。
 ただ、くわえたパイプ煙草が少し不似合いだろうか。異彩を放っている。
 具足が重い音を響かせて通り過ぎていくと、その後ろに二人の男が続いていた。
 一人は、金の髪に帽子を載せた男のプリースト。
 黒字に鮮やかな刺繍を入れた司祭服の胸元は開いており、鍛えられた胸筋の上には首から下げられた銀のロザリオが光っている。
 口にくわえられた草の葉。片眼鏡の奥の目は冷たく、表情も同じく怜悧。その衣服の着こなしと合わせて、近寄り難さを感じさせる男だった。
 もう一人は、青く染められた長髪を後ろで束ねた男のハンター。垂らされたもみ上げは、お洒落の意識を感じさせる。
 動きやすさを重視したハーフシャツとベスト、そしてハーフズボンは、分厚い皮でところどころ補強された丈夫なものだ。背中に弓を背負い、腰には矢筒を下げていた。
 職業柄の薄着とはいえ、この季節では堪えるのだろう。
「うー……さみー」
 とハンターは呟き、手をすり合わせながら入ってきた。
 アークは思わず固まった。
 女騎士の名はクリスことクリスティーナ・ウィンゲート。「ソードオブムーン」のギルドマスターだ。二人の男もアークの知る顔であり、「ソードオブムーン」のメンバーだった。
 しかし、幸か不幸か。アークが影になる位置に立っていたためだろう。三人はアークに気づくことなく、エマの方へ歩いていく。
「ここにいたか、エマ」
「ん?……あ、クリス」
 背後から声をかけられたエマは、声でクリスとわかるのか。あまり驚いた様子も見せず振り返り、そして噛み付いた。
「どこいってたのよ……散々探したのに」
「すまん。他のGvギルドとの会合が長引いてな……」
 クリスの声は華麗な響きを持っていたが、言葉遣いは男のそれだった。彼女の雰囲気にそれはよく似合っていたが。
「参謀がいつの間にか消えたからな。苦労した」
 じろりとエマを睨むクリス。
「う……なら仕方ないか。お疲れ様、ギルドマスター」
 かすかに顔を引きつらせ、笑ってクリスを労うエマ。明らかなごまかしだ。
 しかし、慣れたことなのか。クリスはそれには構わず、訊いた。
「……まあ、いい。それよりもエマ。狩りに誘いに来たのだが……お前にしては珍しいな。一人で飲むのは嫌いだと聞いていたが」
「ああ、それはね……ちょうどいいから話すかな。あのね……」
 アークがまだいることに気づいているのかいないのか。
 エマは要点だけを纏めて、アークが脱退する旨をクリスに報告した。
「そうか……アーク・ウィンステッドが脱退か」
 腕組みをするクリス。
「残念だな。頼りになる男だったが……」
「うん……」
 エマもわずかに俯く。
 そこへ声が割り込んだ。クリスの後ろに立っていたハンターの男だ。
「戦力的には問題ないっすよ。ウィーザードは他にもいるし」
 その軽い声に、クリスは「瞳を閉じて」一言答える。
「……そういう問題ではない」
「ええ。でも、最近あいつ、明らかにやる気なさげだったし」
「レンツォ……やめろ」
 気づかないハンターの男――レンツォを、横に立つプリーストの男が止めた。
 しかし、レンツォはそれをも無視して続ける。
「どうせ、狩りとか人間関係か何かの嫉妬だろ……そんなのいても士気落ちて迷惑だし、いなくなってせいせいするっても」

「黙れ」

 すでにレンツォの首筋には、クリスの剣の刃が当てられている。
 キィィン……という鞘鳴りは今更のように聴こえた。
「私は陰口が嫌いだ。それに、陰口は人に聞こえぬ影でいうものだ……違うか?」
 表情は変えず、淡々としたクリスの言葉。
 レンツォの顔は瞬く間に青ざめ、首を振ることすらできない。
「確かに、アークは貴様にどういわれようと言い訳はできまい。だが、貴様が知りもせぬアークの胸の内をみだりに語り、貶めることは許さん。彼は仲間なのだからな。それが礼儀というものだ……わかったか!」
 クリスは一喝した。
 それは大きな声ではなかったが、切りつける以上の迫力と響きがある。
 レンツォは額から幾筋もの汗を流し、固まっていた。
「……ギルドマスター、その辺で。レンツォも自身の過ちを悟っています」
 プリーストの男が静かに間に立つ。
 わずかの間の後。
「……わかった。怯えさせてしまったか。私も言葉が過ぎたようだ。許せ、レンツォ」
 クリスはいって、剣を収めた。
 答えることもできないレンツォは、腰を抜かしていないのが奇跡という有様だ。
 ここにきて、ようやくクリスはかすかに眉根を寄せた。
「ふむ……エマは酒が入っていても問題はないが……」
「ん。私もちょっと気分じゃないから。ごめんね」
 エマが拒否するのを聞いて、クリスは額に手を当てる。
「……となると狩りは取りやめだな。二人にはここまで来てもらって悪いが……」
「了解。それでは、我らは溜まり場に戻りますが……ギルドマスターは如何されます?」
 まだ口も聞けぬレンツォに代わってプリーストの男が訊いてくる。
「私も少し飲んでいくことにしよう。エンクロイ、レンツォ、わざわざすまなかった。この埋め合わせはする」
「いえ、お気になさらず」
 頭を下げたクリスに、エンクロイと呼ばれたプリーストの男は礼を返すと、
「レンツォ。行くぞ」
 レンツォの肩に手を置き、連れ立って酒場を出て行った。
 アークの近くを通り過ぎていく時、ふとエンクロイは顔をアークの方に向けた。
 エンクロイの表情はバーに入った時から少しも変わらず、怜悧なものだ。
 身を強張らせたアークの前で、その口がわずかに動く。
「さらばだ」
 唇はそう動き、声は発せられなかった。
 呆気に取られるアークには構わず、エンクロイは返事を待つことなく、レンツォは気づくこともなく、バーを出て行く。
「マスター。先ほどの狼藉、申し訳ない。謝罪代わりといっては難だが……いつものやつを頼む」
「いいえ、お構いなく。畏まりました」
 声のした方にアークは向いた。
 カウンターに座ったクリスが老人にオーダーをする隣、エマはわずかに顔をこちらに向けて手を振っている。
 アークはその姿を見て、何かを言おうと口を開きかけ……ただ頭を深く下げた。
 そして、彼女に背を向けて今度こそバーを後にした。


 さすがに時刻も時刻。日付の変わった街は静かだった。
 通りがかる冒険者もだいぶ少ない。
 カツン、カツン――
 アークの靴が石畳を叩く音だけが響いていた。
 この夜、エマと出会う前以上のの静寂が彼を包み込む。
「……ふぅ」
 アークは明日にも「ソードオブムーン」を去り、元いた「泉の妖精」へと帰る。
 言葉すれば簡単なそれは、寂しさと不安とを彼の心にもたらした。
 それはため息となって口を出る。
 でも、エマは彼にいった。
「こら、謝るんじゃない」「堂々といくのよ。いいわね?」
 アークが逆立ちしてもかなわないだろう彼女の言葉。
 強さの醜さに怯え、別れの辛さに寂しさに苦しんで、それを乗り越えてきた彼女の言葉。
 今の彼には到底かなわぬもの。
だけど、
「がんばるしか……ないよな」
 気がつくと曲がっていた背筋を伸ばして、アークは夜空を見上げる。
 そこには、巨大な塔の影を離れた白い月。
 星々を真円に隠し、眩い光で圧し、空へと飛び立つ姿があった。


「……よかったのか?」
 クリスはカクテルグラスを傾けつつ、隣に座るエマに尋ねた。
「何が?」
 聞き返すエマに、クリスは彼女にしては珍しく逡巡を見せた。
 だが、やがて、意を決したようにグラスを置いて言った。
「アークだ。彼は、こういっては失礼だが……一陣の」
「確かに失礼ね。怒るわよ?」
 膨れるエマ。赤い瞳は笑っている。
 だが、割り込むように発せられた答えは、その先をいうなといっていた。
 クリスは苦笑する。
 そして、ぽつりと零した。
「……辛いなら、抜けてもいいのだぞ?」
 その言葉は一見突き放したもの。だが、クリスという女には珍しい、強い響きのない声だ。
 苦さと温かみをもった声。
「わかってないわねー……全く腐れ縁なのに、嘆かわしいわ」
 しかし、答えたエマの言葉と態度も意外を通り越してひどいものだった。
 額に手を当てて、首を振り、悩ましげにため息をついてみせる。
 さすがにクリスもむっとしたのは、無理もなかっただろう。
「あのな……私はお前に」
「い・る・の・よ。もうアーク君にはいるの」
 またしても割り込むエマの声。
 だが、それを聞いたクリスは頷くと、なぜか笑みを浮かべた。
 かすかに唇を吊り上げた、意地の悪い笑みだ。
「なるほどな。『銀の魔女』殿は、自分が一番じゃなければ納得できぬ というわけだ。アークもこうなると哀れだな。さぞや、策略と魔性に踊らされたのだろう」
 そして、くつくつと笑う。
「うるさい『黒き雌豹』!そういうあんたは、鉄の女じゃないのー!」
「声が高いぞエマ。マスターに怒られる……それに、確かに私はあまり男に興味はないからな。事実をそのままいわれても、たいして堪えん」
ニヤリと笑うクリス。
 膨れていたエマはそれを見て、おとなしくなる。いや、脱力した。
 カウンターに肘をついて赤い瞳を閉じ、手で美しい銀髪をかき毟るようにして呻く。
「……まったくー……これだから」
 柱の時計はそろそろ午前1時になろうとしていた。
 クリスが立ち上がる。
「む……と、そろそろ閉店時刻だな」
「あ、そうね。マスター、勘定を」
 しかし、カウンターの端でグラスを磨いていた店主の老人は静かに首を振った。
「時刻でしたら、お気になさいませぬよう」
「え、でも……いいの?」
 戸惑うエマ。確か、老人は時間厳守だったはずだ。エマも何度か追い出されたことがある。
 老人はいう。
「今夜はいい夜です。時と酒は似ています……ごゆっくりどうぞ」
 そして、一礼して下がっていってしまった。
「……ふむ。ならば、ご好意に甘えるとしようか」
 クリスは席に座りなおす。
「そうね……」
 エマもそういってその隣に座った。
 二人は語る。
「次の戦はどこを攻めようか?」
「んーそうね。やっぱりゲフェンのどれかかしら?ワインも美味しいし」
「やはり、そうだろうな。プロンテラにも行ってみたいものだが」
「ええー?あそこは強い勢力もいないし、あんまり……」
「いや、砦じゃない」
「ん?」
「プロンテラ王城だ。ルーンミッドガッツ軍がどの程度か見てみたい」
「あはは。無理だけど、おもしろいかもねー」
 ……
 夜は刻一刻と過ぎていった。


 アーク・ウィンステッドのその後はわからない。
「泉の妖精」へ帰れたのか。そして、「泉の妖精」の人々と共にあり続けたのか。
 それとも再び強さを求めたのか。そして、旅立ったのか。

「黒き雌豹」クリスティーナ・ウィンゲート。
「銀の魔女」エマリエル・クリューウェル。
 二人の率いる「ソードオブムーン」はその後もGvギルドであり続けるのだろうか。
 その中心に彼女たち二人は在り続けるのか。
 定かではない。
 人々の記憶に長く刻み付けられるであろう、その名も風化していく。それが栄光によるものか衰亡によるものか、勇名となるか汚名となるかもまたわからない。

 ただ、時は流れ、人は出会い、別れる。
 手を取り合って戦った仲間、杯を交わして語り合った友も、永遠ではありえない。
 だが、共に在った時は、過去の確かな事実として残る。


 夜空の元、寒さに凍える剣たちも主人たちと変わらない。
 いつかその鋭利な刃も欠け、鋼鉄の身も折れ、美麗な柄も埃に塗れるかもしれない。
 主人の手を離れ、或いは野に打ち捨てられ、或いは新たな主人を得るかもしれない。
 ただ、勝鬨の響きと勝利の栄光の記憶だけを身に刻み、それすらも薄れていき消える。
 だが、篝火の熱と光。ある主人の傍らにあったこと。
 温かみを感じ、誇らしさに輝いたその夜は、過去の確かな事実として残る。

 今は夜空の元、主人の寝覚めを待つ剣たち。
 忠臣たちはやはり何も語らぬまま、次の朝を、次の戦を待っていた。


                     FIN